海ハ壁玉 空ハ緑玉 南国ノ夢アリ @田中一村美術館
2019年 3月 7日 木曜日 雨が降ったり止んだり。 夕方雷が鳴り、これが本当の春雷だと思った。
昨日は啓蟄。 ファーブル昆虫記の全訳をされた奥本大三郎さんが、この日に自分が生まれたのはまさに必然、みたいなことを書かれていたのを思い出した。
啓蟄の翌日、つまり今日は私の誕生日で62歳となった。 別に必然ではなくて偶然に過ぎない。
2008年の奄美大島の旅はチケットを手配するまではウキウキした気分だった。 輝かしきリストラ第1弾のメンバーに指名されるまでは。
不穏な心で旅に出た私はカメラも忘れ、羽田でまだ当時は売られていた使い捨てカメラ24枚撮りを購入して奄美大島へ向かったが、実に見事にブレブレ或いはピンボケばかりで捨てた。 よって写真すら1枚も残っていない。
泊ったホテルの名前すら覚えていないのだ。
どこかで書いたので、同じことを書いても仕方が無いが、当時の田中一村美術館の映写室で上映されていた榎木孝明主演の自伝映画を見て、声を殺して号泣した。
父が亡くなった時でさえ、あんなに泣きはしなかった。 まぶたが赤く腫れあがったくらいだ。 泣いてすっきりしたせいか、そのままの顔で喫茶室でショートケーキをモリモリと食べた。
同じ美術館カフェで休憩した。 2019年のカフェメニューにはケーキは無かった。
田中一村の千葉時代の絵にあまり興味が無かったが、今回改めてみると、素晴らしい作品が多く、すでに奄美時代を予感させる。
絶対に売らぬ、地獄の閻魔大王の土産と一村が言ったとされる作品を今回見ることができた。
この絵がそれで、クワズイモとソテツ というタイトル。 わりと小品である。 じっと見ていて、ふっとアンリ ルソーを思い出した。
一村の蔵書の中の「ゴッホの画集」が展示されていて、思わず大きなため息をつきながら、眺めてしまった。
それは綺麗な布で装丁されており、非常に良い保存状態で、一村が亡くなった後で遺品として出てきたゴッホ画集をどなたかが装丁しなおしたものかもしれない。
田中一村はゴッホが好きだったのだ、と思ったら、やはりハラハラと涙がこぼれた。
10年前、私はここで深い虚無感、無力感におそわれた。 美術館を出て入り口正面にあるバス停。
なんとも言えない不安感の中でただただ、呆然とバスが来るのを待っていたことだけは実に鮮明に覚えている。
忘れてしまった方が良い記憶だと思うのだが、忘れられない記憶なのだ。
到着した3月4日は比較的よいお天気だったが、19度の気温にしては浜風が強くて体感温度は寒いくらいでジャケットを脱ぐことができなかった。
写真はすべて田中一村美術館の庭で撮影した極楽鳥花、ハイビスカス、紫蘭。
今年の1月15日まで生誕110周年記念展が開催されていて、本来ならその期間中に行けばよかったのだが、まあ、成り行きで3月になった。
タイトルは一村が奄美ではなくて宮崎 青島で書いたものである。
「海ハ壁玉 空ハ緑玉 枇榔樹ノ葉ハソヨグ 南国ノ夢アリ」 から引用。
翌日3月5日は快晴でまさにそんな日で、今回初めて奄美の海でシュノーケリングをした。
その話はまた別に。 それにしても、10年は長いがあっという間だった。
今日は母を入浴させて洗髪した。
母に今日は私の誕生日だと言ったら、「ご馳走できなくてごめんね」と言われた。
でも、その後すぐに「4月4日しては今日は寒い」と言うので、まだ、3月7日だと答えたおいた。

昨日は啓蟄。 ファーブル昆虫記の全訳をされた奥本大三郎さんが、この日に自分が生まれたのはまさに必然、みたいなことを書かれていたのを思い出した。
啓蟄の翌日、つまり今日は私の誕生日で62歳となった。 別に必然ではなくて偶然に過ぎない。
2008年の奄美大島の旅はチケットを手配するまではウキウキした気分だった。 輝かしきリストラ第1弾のメンバーに指名されるまでは。
不穏な心で旅に出た私はカメラも忘れ、羽田でまだ当時は売られていた使い捨てカメラ24枚撮りを購入して奄美大島へ向かったが、実に見事にブレブレ或いはピンボケばかりで捨てた。 よって写真すら1枚も残っていない。
泊ったホテルの名前すら覚えていないのだ。
どこかで書いたので、同じことを書いても仕方が無いが、当時の田中一村美術館の映写室で上映されていた榎木孝明主演の自伝映画を見て、声を殺して号泣した。
父が亡くなった時でさえ、あんなに泣きはしなかった。 まぶたが赤く腫れあがったくらいだ。 泣いてすっきりしたせいか、そのままの顔で喫茶室でショートケーキをモリモリと食べた。
同じ美術館カフェで休憩した。 2019年のカフェメニューにはケーキは無かった。
田中一村の千葉時代の絵にあまり興味が無かったが、今回改めてみると、素晴らしい作品が多く、すでに奄美時代を予感させる。
絶対に売らぬ、地獄の閻魔大王の土産と一村が言ったとされる作品を今回見ることができた。
この絵がそれで、クワズイモとソテツ というタイトル。 わりと小品である。 じっと見ていて、ふっとアンリ ルソーを思い出した。
一村の蔵書の中の「ゴッホの画集」が展示されていて、思わず大きなため息をつきながら、眺めてしまった。
それは綺麗な布で装丁されており、非常に良い保存状態で、一村が亡くなった後で遺品として出てきたゴッホ画集をどなたかが装丁しなおしたものかもしれない。
田中一村はゴッホが好きだったのだ、と思ったら、やはりハラハラと涙がこぼれた。
10年前、私はここで深い虚無感、無力感におそわれた。 美術館を出て入り口正面にあるバス停。
なんとも言えない不安感の中でただただ、呆然とバスが来るのを待っていたことだけは実に鮮明に覚えている。
忘れてしまった方が良い記憶だと思うのだが、忘れられない記憶なのだ。
到着した3月4日は比較的よいお天気だったが、19度の気温にしては浜風が強くて体感温度は寒いくらいでジャケットを脱ぐことができなかった。
写真はすべて田中一村美術館の庭で撮影した極楽鳥花、ハイビスカス、紫蘭。
今年の1月15日まで生誕110周年記念展が開催されていて、本来ならその期間中に行けばよかったのだが、まあ、成り行きで3月になった。
タイトルは一村が奄美ではなくて宮崎 青島で書いたものである。
「海ハ壁玉 空ハ緑玉 枇榔樹ノ葉ハソヨグ 南国ノ夢アリ」 から引用。
翌日3月5日は快晴でまさにそんな日で、今回初めて奄美の海でシュノーケリングをした。
その話はまた別に。 それにしても、10年は長いがあっという間だった。
今日は母を入浴させて洗髪した。
母に今日は私の誕生日だと言ったら、「ご馳走できなくてごめんね」と言われた。
でも、その後すぐに「4月4日しては今日は寒い」と言うので、まだ、3月7日だと答えたおいた。

この記事へのコメント
奄美の海は優しいですね
お誕生日おめでとうございます。
いい旅をなさいましたね。
毎日頑張っておられるのですから、
たっぷりとご褒美を御自身にあげてください。
奄美大島、田中一村の絵私も大好きです。
浮草さんの美しい写真を見ていたら
私も飛びたくなりました(笑)
浮草さんご自身の抱いておられる思いとは違うと思いますが、浮草さんの人生の歩み、深まりに感銘を受けます。憧れます。私は今50歳。浮草さんのように確かに暮らして行けるかしら・・・。浮草さんのように素敵な60代になりたいです。