今年初めて雑煮を食べた・・・

2012年 1月 5日 木曜日 晴れ 掃除もなにもせず。

昨日は、目が冴えて眠れなかった。夜遅く、パソコンをずっと見ていたから。 母は年金は2カ月遅れで入金するので、最後で良いと言っていたが、年金事務所も母が言っていた場所と違っているし、なんとなく気になって、父の厚生年金のことを調べていたら、原則、死亡後10日以内に届け出を出すと書かれていて、やはり、年金機構になってから場所も変わっていた。 母にその旨伝えると、場所がわからないから一緒に言ってほしいと言われて、朝からものすごい勢いで行動したので、疲れた。 写真は自宅に到着した午後3時半くらいにすべて撮影したもの。

庭のビオラ
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午前8時半、年金事務所が開く時間ジャストに電話を入れて、担当部署に電話を回してもらい、まず、何をそろえるべきかを訊ねて、メモを取り、復唱し、担当者の氏名もメモ書きにした。混雑具合はその日によって違うそうで、平均的にいえば、週の真ん中あたりが比較的空いていて、それも午前8時半から10時までに来られると良いと言われたが、その前に、区役所に行って必要書類をそろえなければならず、9時前には家を出た。(朝食の片付けのみをしただけ。)

区役所ではまず戸籍謄本と住民票を取る。年金に添える場合は無料だそうで、他にも提出するので、戸籍謄本は2通で1通はお金を払った。それから、番号札を持ったまま、世帯主の変更届けを出して、それが終わると、別の部署で、母の平成23年度の収入が書かれた書類を受け取り(もちろんゼロ)、今度はなぜか、国民健康保険に回された。私は無職になった時に父から、父の扶養者となるのが、一番得であると言われて、父の扶養者になっており、母は後期高齢者なので、関係なく、私のみが、再度手続きをする。(あの、扶養者でしたが、国民健康保険の引き落とし口座は私の銀行口座から引き落としてました。)その間に番号札の名前を呼ばれたり、もう、区役所の中をあっちへ行ったり、こっちへ行ったり。 

でも、1つ良い事があった。 後期高齢者医療保険の方から葬儀代として5万円でるそうで、それは母の保険証が必要なので、明日、母に自分で行ってもらうことになった。

10時を回っていたが、私は10日から農大グリーンアカデミーの授業だし、なんとかなるからと母を説得して、電車に乗って年金事務所へ。11時少し過ぎに到着。約30分の待ち時間で、番号を呼ばれた。

いかにも温和そうな社労士?のおばさまが書類を見てくださり、手続きを済ませてくださった。途中で、随分年金多かったですね、と言われて母と思わず顔を見合わせてしまった。

私は、父は尋常小学校しか出ておらず、現役時代はずっと平サラリーマンで、定年の5年くらい前はほんとうに会社に行くのを嫌がって、毎年、有給を使い切り、母と私が、ときどき、(仮病なのだが)突然休むときには会社に連絡をしたと、ぼそりと話した。

ピンボケ 水仙
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入念に計算して、今後母がもらう遺族年金の年間金額を見せてもらった。それは思った以上に多いもので、社労士の方が、ちょっと多いから、もう1回、計算しますと言って、結局1時間くらいかかったが、月平均で20万以上になり、私は、思わず、母に「これで、ある程度の老人ホームに入れるじゃないの」と言ったら、社労士の方から笑われてしまった。

午後1時を過ぎていたが、とりあえず、横浜へ戻り、母があそこに行こうと言うので、そこで遅い昼食を摂った。このレストランは、ファッションビルの地下にあり、大抵こういうところにおいしいお店は無いというのが定説?なのだが、とっこい、一軒おいしいお店があって、父がもう、桜木町まで行けないというときにはここで食事をしたものだった。(父は2年くらい前から電車での乗り換えが体力的に無理になっていた。)

とりあえず、年金がすべて片付いて、ほっとしたのか、母と二人で、アンティパストで生ビールをグラスで飲んだ。父も母もこのお店のからすみのパスタが大のお気に入りで、頼んだが、もう、すでにメニューにはなく、材料もおいていないそうで、母はがっかりしていたが、別のパスタもおいしかった。最後に父と来たときはいつだったろう?などと話して、やはりしんみりとした。父の給料は決して高くなかったが、15歳からずっと働いてきたので、そこそこ年金が多かったのかもしれない。

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3時過ぎに帰宅。母は昨日は餅つき器で餅をついて、帰宅後包丁を入れた。私は、野菜をカットしてたっぷりと汁の中入れて、餅を焼くばかりにして、風呂に順番に入って、父の遺影に手を合わせた。

「お父さん、亡くなった後でもこうして、年金がもらえて、ほんとうにありがとう」と声をかけた。

夕食時に母も父の遺影に向かって、同じことを言ったそう。

本日の3時過ぎの空
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テーブルの上にお礼と書かれた封筒が置いてあり、何これ?と母に言うと、一言、農大グリーンアカデミーの専科にもう1年行ったら、というので、正直、びっくりした。

中を開けたら、ぴったり25万入っていて、(それがまさに入学金にちょい余るお金で)金額を言ったわけでなし、私は迷っていたので、どうしたものかと思ったが、授業は必須が週1度であるので、ガイドヘルパーの資格をとっても、なんとかなると思い・・・

結論: 専科を受講することにする。 造園にするか、果樹にするか、さてどっちにしようか?

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この記事へのコメント

keiko
2012年01月06日 09:56
なぜか 読ませていただきながら 涙が出てきました。
これからの人生の再スタートですね!
頑張って!
虹鱒
2012年01月06日 22:50
ドラマだと、今日のあなたの書かれた事は、何か余韻を残しながらの物語の終わり、のような気がしました。
でも現実は、私たちはこれからも生きていくのですけれど。  親子は一諸に暮らしていると、こき使われる割に(表現が悪くて御免なさい)疎まれたり、時には傷つけあったりしますね。離れている者はいつも良いとこ取りです。
私はそれで、若い時に随分と傷つきました。

今は、日本を離れて20年以上が経ち、老いた母は私の事が兄弟の中で一番気掛かりで、他が僻むくらいいつも、虹鱒~虹鱒~です。私も、母が少しでも毎日を楽しく、痛みや悩み事がなく暮らして欲しいと、心から願ってやみません。
同じ血、ってこう言う事なのでしょうね。