葬儀についての考察

2012年 1月 2日 月曜日 晴れときどき曇り 午後から北風が強くなった。

お正月の3日間は掃除をしてはいけないそうで、それは家の中のを皆外へ捨て去ることになるからだそうで、わかっちゃいるのだが、昨晩は母が正月用に買い求めた蟹を二人で黙々と食べて、私は綺麗に食べたつもりだが、朝食後に母が居間だけ掃除をしてほしいというので、やっぱり掃除をした。

近くの図書館の入り口
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昨晩は、眠る前に父の遺影に「たまには、遊びにおいでよ。夢の中でもいいからさ」と声をかえて眠ったが、夢をみることもなく熟睡した。

母が近くの神社へお参りではなく足を鍛えるために散歩に行こうというので、去年頂いてきたお守りを返すこともあり、ひと駅分を往復した。(もちろん参詣なし)

本日の空
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こんなに良いお天気なのに、なぜか私が自分の布団を干す日に限って、曇りだす。散歩から帰ってすぐに布団をベランダからこんだ。

さて、ちょっと葬儀の話を書いておく。父と母は10年以上前に二人で葬儀場を見物がてら、某互助会に入って、すでに満期になっていて、そういう意味ではいつ死んでも良い状態であったわけだが、私は父は多分母の言うとおりにしておいたほうが無難であると判断したのだろうと想う。ようするに母が納得すればなんでも良かったと思っている。

現在は自由葬などと呼ばれるものもあるが、母は昔通りの葬儀をしたかったのであろうと思う。まあ、細かいことは省くが、骨壷といらしたお客様にお渡しするお礼と食事以外はすべて最低の物を母は選択した。私が、これも最低、あれも最低、全部最低と言うと、葬儀社の方から、「普通の、とおっしゃってください」と何度も言われた。

葬儀社の方は実にざっくばらんに、お返しは最近、ご近所づきあいが疎遠なため、まあ、地区によりますが、一律3000円というところもあるので、それを念頭に入れて選んでくださいと言われたが、母の話だと今どき3000円を包むという人は私の住む町内会ではありえないと言われてその上の物に統一して、金額の多い方には別途お礼を後ほど返すということになった。

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骨壷は残るものだし、せめて良い物をと思ったが、正直、どれもあまり気に入らなかった。母からはあんた(私)がお金を払うのではないから口出し無用と言われたが、それでも、その中から、ひとつを選んで、どうしてもこれにしてほしいと母に頼んだ。ちなみに最低の次の物で金60000円也。

宗教について葬儀社から聞かれたが、父は無宗教だし、母の実家は神道で、したがって、母方の祖父母の葬儀は神主さんが行った。仏の葬儀は我が家では初めてで、どうしたものか悩んだが、父が死ぬ前によく、「南無阿弥陀仏」と唱えていたと話すと、それでは浄土宗でということになった。

戒名で値段は大きく違い、「○○居士」の場合は最低料金が75万円。入れて欲しい文字数が多くなれば、どんどん金額は増える。父の場合「○○信士」という格の低い戒名で、ぐっと価格が下がって35万円也。父の名前の一文字を入れてもらった。そのほかに交通費として2万円。

2万円って・・・早割で航空券を買えば、片道で石垣島ぐらいまでいける金額だよ・・・つまりですね、35万+2万で合計37万を別々の袋に入れる。

さらにだ、霊柩車の運転手さんにお渡しするお気持ち代として5000円、斎場(焼き場)までのマイクロバスの運転手さんにお渡しするお気持ち代が3000円。

さて、ここからが肝心なのだが、運転手さんの袋は封をしてくださいと言われたが、お坊さんへのお布施は絶対に封をしないでくださいと言われた。

これは私の想像だが、多分正しいと想う・・・要するに、お坊さんへのお金の一部は言い方は悪いが葬儀場がピンハネするわけだ。でなきゃ、封をするな、なんて言わない・・・

母はすでに100万近い値段を葬儀社に支払ったが、最終的なつまり食事代は今後請求がくるが、以前から母から、○○さんのお通夜に行って、故人のためにどうぞ、一口でもお食事をして言ってくださいと言われて、会場に行っても、まったく食べ物が残っていないことが多々あったそうで、あれだけは避けたいということで、余ったら、捨てりゃいいんだということで、多めに頼んだ。

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まあ、多めといっても、私はすで現役でなく、母は私がリストラされた時に最初に言った言葉は、「これでお父さんの葬儀にはお花も届きゃしない」であったので、たいした量ではないのだが、まあ、それでも、それほど寂しいお葬式にはならなかった。母は最終的な請求書をまだ、受け取っていないが、合計すると200万近いのではないかと言っている。

父は死亡保険をたったの200万しかかけていなかった。そのうえ、自分が死んでも貰えるわけではないので、馬鹿馬鹿しいと言って、反対する母を押し切って、半分解約して使っちまった。父はそういう人だった。

まあ、そういう父が大好きなんだけどさ・・・

父には大好きだったノースフェイスのシャツとプルオーバーを着せた。私と同じで帽子が大好きだったので、一張羅の帽子を2つ棺の中に入れた。 葬儀社の人の言われるままにいわゆる死に装束は棺の父の足元に入れた。

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斎場から戻って、遅い昼食を食べている時に従姉が母のとこへやってきて、「叔母さん、50代のシングル(子供なし)の女性の生活保護が増えているんですって」とわざわざ言いにきやがった奴が居て、母も言わなきゃいいのに、私に気分悪いだろうけどね、(じゃあ言わないでくれよ)こう言われたのと言った。

大丈夫!あんたのところへお金の無心には行かないから!!!

結論:私は将来、貧困マイノリティーの一員になるので、戒名は要らない。 

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この記事へのコメント

ロンリーソナタ
2012年01月03日 18:24
葬式仏教反対腹がたつ。骨壷も戒名もいらない。骨壷は自分で探す。
eri
2012年01月04日 09:56
「葬式は、要らない」島田裕巳著を一昨年読みました。
戒名の成り立ちや現代の姿も興味深く書かれていて、あらためて葬式というものを考えるのに良い機会を与えられました。
ただ葬式のために存在する住職を有り難く思う多くの日本人が、正直哀しいです。
とは言いつつ、一昨年義父を送りだしたときは義母の気持ちを第一に考えて、かなり気持ちにそぐわない葬送儀式をしましたが、戒名はつけませんでした。俗名のまま位牌に刻まれています。
自分で自分の送り出し方を選べる時代になったことは、本当にありがたいです。