気配という存在

2012年 1月 15日 日曜日 時折陽射しあるも概ね曇り。寒かった。

今朝は朝食後にたくさんの洗濯をして、ベランダに干したらすでに10時半になってしまった。急ぎジムへ向かう。いつものように1キロ強泳いで、サウナに入って帰宅した。

こんな空
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綺麗に剪定された枝ぶりと空を写す。農大グリーンアカデミーの専科に造園を選んだのは授業に剪定がたくさんあったのと、庭の割り振り方などの講義があったから。造園と一口に言っても、なにも庭に石灯籠やら大きな岩を配置した庭園を作るわけではないのだ。それにしても果樹の専攻は相変わらずの大人気で今年は名物教授が退官されるため、専科申し込み日まで果樹の先生は決定しておらず、下馬評では案外楽勝だという話もあったが、圧倒的人気で専科人気科目No.1と相成った。今年は去年と違って、造園が2番人気であった。花卉と地域と緑が不人気だった。

母には自分でお昼を作るから、勝手に食べてくれと言い置いてジムに出かけた。帰宅したのは1時だったが、母が雑煮を作って待っていた。父が亡くなって父の好物だったイチゴはけちんぼの母はたぶん最盛期にならないと最早食卓に上がらないだろうと思っていたら、珍しく食卓に上っていたのでちょっと驚いた。皿が気に食わないけど。母は盛り付けも下手くそで、皿と食べ物の相性なんてことも考えない。ちなみに雑煮は私が盛りつけた、と言っても、柚子の皮をちょいとのせただけなのだが・・・

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私が先日のブログで家にビールが置いてあるので驚いたと書いたが、母は絶対にビールを買わない。彼女が買うのは発泡酒、及び第3のビールのたぐいなので、私のように350ccで十分満足するビール好きは私が買わない限り自宅にビールは存在しないからだ。

父が寝付くようになってベッドで眠っている時間が長くなっても、父の気配というのはあったわけで、今はその気配すら無くなって、気配というのも存在なのだと想うようになった。

心にぽっかりと穴というか空間が出来てそれが埋まらない。ふいっと、父の顔やら仕草を思い出しては涙がでる。今日も独りでサウナで寝転がっている時にやはり、父の事を思い出しては泣いた。

花屋のジュリアン
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こんなに早く死ぬのだったら、薬なんか飲ませなきゃよかった・・・父を車椅子に運んで食事をさせて終わると、私が、薬を飲むまでベッドへ移動させないのを理解していたので、お箸で器用に錠剤をつまんでは口に入れていた姿を思い出しては後悔する。

薬を飲まない父を怒っては、父は、これを飲むと馬鹿になるのだと何度云ったことだろう・・・

便秘薬を飲ませて排便処理が大変で早く死んで呉れよなどと思った自分が情けない・・・・

プリムラ
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介護している間は大変だったのだが、こうして父が亡くなってしまうと、その気配すら感ずることが出来ず、やはり虚ろな気分になる。

午後は物置に入れておいた柚子が腐り始めたので、1.3キロの柚子を午後2時から5時までずっとキッチンで立ったままひたすら柚子ジャムを作った。今回もおいしく出来た。

糸井重里もジャムおじさんなどと称してよくジャムを作っていらしゃるが、ジャムを作るって心が落ち着く。

皮を剥く、種を取る、ひたすら砂糖で煮詰める、これだけの単純作業なれど、不思議と心が落ち着くのだ。明日、出来上がったジャムの写真をお見せしますね。

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この記事へのコメント

ロータス
2012年01月15日 21:24
何か宗教的な発言かもしれないのですが、私は、父はまだ私の近くにいると思っています。我が家は対面式のキッチンなのですが、立っていると父の顔を見る事が出来ます。自分の1日が納得のいかない(主に、自分が、まぁいっか♪ってごまかした時にですが )いたずらっ子みたいな顔して"本当に?"って言います。まだ私は、情けないけど父に支えて貰っています。体はなくなったけど前よりも、包まれているので安心して本音が言えます。
eri
2012年01月16日 09:51
お母様のいちごのお皿はまだ良い方です。
我が義母は、お正月の食卓に100円ショップのプラスティック(漆塗りに似せているあれ)の取り皿を並べます。
ここまで来ると、やはり育った環境やその後の生き方が異なると、あきらめるしかありません。あの時代の庶民は、物にこだわること自体が、贅沢で反道徳的だと思うところがあるんですよね。特に、夫の稼ぎで家計をやりくりした賢いと呼ばれる主婦にその傾向が強いみたいです。


テル
2012年01月16日 10:42
今年母の七回忌を迎えます。お気持ちよくわかります。
個的存在を失い普遍的存在となり、振りかえればそこにいつも智恵子がいると光太郎は言っていました。母を亡くす前はそれも有りかなとそう思えるのだと受け止めていましたが、実際に最愛の母がいなくなるとそんな生易しい気持ちではいられませんでした。どこにも母はいません。
七年経っても母のいない日々に私がいる事を不思議に感じます。私も母と一緒に逝きたかった。そう母にも言って笑い話をした事もあります。母を思い出さない日はなく、たまに『お母さん』と口をついて出る時もあります。寂しさ虚しさ哀しみ喪失感、言葉や文字にはならないですね。泣く以外にありません。あんな事もあったねなど思い出話を笑って普通にできるようになれば良いなと思っています。
ただ最近前の方が書いておられましたが、ふとそこに母の顔を見るような…